親不孝丼

感涙食堂 生活文化出版2007年 調理師38歳・下村邦和様より
http://www.bibi21.com/yukiszk.html
ガラガラ。。。
ドン。。。
シュッ。。。
フゥー。。。
「お帰り!今日はどうする?」
私が中学3年の頃
毎週土曜日の出来事でした
札付きのワルだった私は
ダボダボのズボンにパンチパーマ
さらしを巻いて地元の商店街を肩で風を切りながら歩いておりました
そして
商店街の中心にある
母が勤めていたお蕎麦屋さんに毎週土曜日カツ丼を食べに行くのが日課になっておりました
まるで常識を知らない私は
入口の引き戸をガラガラと開け
ドン!
といすにふんぞり返ると思ったら
まだ14歳のくせにシュッとたばこに火をつけ
フゥーッと一服する。。。
そして
毎回母が笑顔で
「今日は何を食べる?」と聞く
私は母の顔も見ないで
「カツ丼」とひと言答え
煙草を吸いながら漫画を読む。。。
こんな出来事が毎週土曜日繰り返されておりました
地元では悪名高い私
商店街を歩いているだけで
みんなにジロジロと見られ
避けて通られる
地元で後輩に会えば
私の影が見えなくなるまで大きな声で
「こんにちは!こんにちは!」と
挨拶を繰り返しその声の大きさにビックリして小さい子が泣く始末。。。
私に触る人間がいたら
切り裂いてやる!くらいの気持ちで
いつも体から殺気を出しておりました
そんな私ですが
唯一楽しみだったのが母の働く
『大村庵』のカツ丼です
毎週
何があっても必ずカツ丼を食べに行っておりました
ですが今になってわかります
そのときの母の苦しさを。。。
私が店に行くだけで大迷惑なはず
煙草を吹かし
店のオーナーに挨拶もしない
まるで母の立場を考えていなかった私でした
ですが
母はいつも笑顔でした
そんな非常識な私に対して
笑顔でした
ある日の土曜日
いつものように『大村庵』にカツ丼を食べに行きました
するといつも笑顔で近寄ってくる母の姿が見えません
代わりに店の奥さんが私のそばに来て
「お母さん、今日は休んでもらったよ」
と言いました
私が「なら、帰る。。。」と言って
店を出ようとしたら
「ちょっと待ちなさい!カツ丼食べていきな!」
店の奥さんに呼び戻され
私はしぶしぶ席に着きました
すると
奥さんが私に言いました
「今日は
私が無理矢理お母さんを休ませたんだよ!
あんたに話があってね!」
そう言うと
1枚の写真を持ってきました
写っていたのは10歳の頃の私。。。
子猫を3匹抱きかかえ
子どもらしく自然な笑顔でした。。。
奥さんは言いました
「お母さんはね
いつもこの写真を見ては私たちに言ってるんだよ!
この子は虫も殺せないくらい優しい子なんです
そしてこの頃は毎週日曜日になるとみんなに朝ご飯でチャーハンを作ってくれるんです
それが私は楽しみで。。。」
そうです
私の幼い頃の夢は料理人になること
毎週日曜の朝は
母に初めて教えてもらったチャーハンを作るのが楽しみで
家族みんなで朝ご飯として食べておりました
「あんたね
毎週来て
煙草を吸ってカツ丼食べて無言で帰って
お母さんがその後どんな気持ちかわかる?
私たちに何度も頭を下げて
『あの子は本当は優しい子なんです』って。。。
それにね
あんたが来た日はお母さんは賄いを食べないで帰るんだよ!
週に3回3時間くらいしか働けないのに
あんたがカツ丼食べたら
1時間分の時給がなくなるんだよ
お母さんは自分の賄いの分を毎週あんたの昼ご飯に回しているんだよ!」
「いつまでも親に迷惑や心配をかけて
ヘンな格好で町を歩き回って恥ずかしくないのかい!!!」
私は
何も言えませんでした。。。
「今日はあんたの誕生日を祝うってお母さん言ってたけど
もうすぐ誕生日なんだろ?
あんたが帰ってきても帰ってこなくても
あんたが好きな鶏の唐揚げとポテトサラダを作って待ってるって言ってたよ!
ちゃんと帰るんだよ!」
14歳の冬の出来事です。。。
何の気なしに希望した調理学校への進学
お金もたくさんかかります
そのために母は働き
自分勝手な私は母の賄いまで取り上げ
我が物顔で母の職場に来ては
非常識な態度を繰り返していたのです
私は母の作る鶏の唐揚げが大好きでした
でもその頃はろくに家にも帰っていなかったので
「自分は母が作る鶏の唐揚げが大好きなんだ!」
ということすら完全に忘れていました
ですが奥さんのひと言で
完全に忘れていた鶏の唐揚げの味をハッキリと思い出し
同時にその頃の楽しかった思い出が走馬燈のようによみがえりました
そして急に私の目から涙が溢れ出し止まらなくなりました。。。
1年前なら何も感じなかった私ですが
もうすぐ15歳になる私は
奥さんの言葉が心に響いたのです
奥さんも泣いておりました。。。
奥さんが語ってくれた言葉が私に気づかせてくれたのです
そして私の涙は心のしずくとなり
私自身の乾き切っていた心に潤いを与えてくれました
その後
奥さんは無言で調理場に戻り
「私からの誕生日プレゼントだよ、食べな」
そう言うと
大盛りのカツ丼を私に食べさせてくれました
その日
私は決めました
母の目を見て話せるようになるまで
母に恩返しができる日までカツ丼は食べないと。。。
1984年の出来事です
私は料理人の道を選び
23年後
38歳になりました
そろそろ親不孝丼の封印を解いてもよい時期がやってきたようです
ですが
料理人になった今でも
母の作る鶏の唐揚げの味を超えることはできません
いや。。。
一生超えることはできないでしょう